寄席の舞台を高座(こうざ)と呼びます。語源は寺院、説教所で説教師が着く「講座」にあり、聴衆のいる平座より高く設けられたところから「高座」と書くようになりました。文化四年に、講釈師の初代伊東燕晋の徳川家康の偉業を読む尊厳を理由にした出願を寺社奉行が許可して、三尺×六尺という畳一枚分の固定したものを高座と呼ぶようになりました。
舞台式の高座が定着したのは江戸末期です。寄席の場合落語という話芸が主体ですので、背景に絵を書いたり、小道具を置いたりするということはありません。つまり噺の中の情景はお客様が自由に想って頂くと
いうことです。この高座でちょっとした逸話があります。
昭和48年3月に、皇后陛下古希の祝賀の余興として、六代目三遊亭圓生が御前口演をいたしました。その時に高座が両陛下より低い高さであったところ、圓生恐る恐る宮内庁の役人に「落語の演技は動作を含め全体が芸になっておりますので、もしお許しを頂けるならば、陛下より一段高く高座を上げて頂けませんか」と注文を出したそうです。早速陛下に伺いをたてたところ、「そういう事であれば一向に差し支えない」と仰せられたので、一段高く高座は作り直されたということです。事実、お客様の目線以上の高さがないと、演技がとても見ずらいものです。
最後にもう一つ。鈴本の高座は桧ですが、座布団の前と右側を見て下さい、そこだけ白く削られています。なぜかといいますと、よく噺の中で戸を叩く場面がありますが、その時噺家さんは扇の要で高座を叩き、戸をた
たく音を出します。それが積もり積もって高座が削られてしまったわけです。
上下(かみしも)について御説明いたしましょう。
一人で複数の人物を表現するには、ご存知のように右を向いたり左を向いたりしてセリフをしゃべりますが、この事を「上下をつける」「上下を切る」「上下をふる」などと言います。これがしっかりできないと、お客様の方で、誰がしゃべっているのかわからなくなってしまいます。
もう少し詳しくご説明申し上げますと、客席から向かって右方を上手(かみて)左方を下手(しもて)といいますが、これは芝居の舞台に準じた設定、つまり花道があるほうが下手、座敷のあるほうが上手ということになります。従って話中の人物の位置も、顔を下手に向ければ上位の人、上手へ向ければ下位の人物を表します。上下の関係は、階級差、年齢順、性別、裕福度で決めますが、これに上体の動き、手の動き、向きの動きを大振りにするか控えめにするかで、人物の描写が出てきます。
例えば、上手を向いて「こんちわ」と言えば八五郎。下手を向いて「誰だい」と言えば、屋内の御隠居になります。反対に住人より上位の者が訪問してきた場合は、はじめ下手から来意を告げ、上手にいる下位の者が
「どうぞ」と促して、顔を下手から上手にまわし「よくいらっしゃいました」と言い、下手へ向き直って訪問者がしゃべり、これで訪問者が上座に座ったことになります。文章で書くとややこしいですが、実際の高座を見
て頂ければすぐお分かりになるかと思います。
よくテレビ中継で、カメラを客席の両脇と正面に置いて、演者が上下をつけるたびにカメラを切り替える撮り方をしていますが、あれでは折角の上下の味が消えてしまいます。