江戸の町、表通りには店蔵造り、塗り屋造りなどの堅牢な家屋が並んでいましたが、町裏へ入れば粗末な造作の借家、いわゆる長屋がありました。
通りに面した表店と呼ばれるところには、落語「三軒長屋」にも描かれているように棟梁、鳶頭、隠居、町師匠などが住んでいましたが、江戸町人の大半が住んでいたのは裏長屋でした。通りに面した長屋木戸(写真)をくぐると、三尺から四尺幅の路地があり、中央には溝板をかぶせた下水が流れ、共同便所、掃き溜め(ゴミ捨て場)、井戸が付設されていました。【木戸にある「井」の印はこの長屋に井戸があることを示しています】
路地は住人の共有通路であるばかりか、物売りの市になり、子供の遊び場になり、夏は縁台を出して夕涼み、井戸端会議の広場にもなりました。共同で使用する設備が多く、互いに助け合って生活していたわけです。
さて建物ですが、平屋建てで裏長屋の代名詞にもなった九尺二間(くしゃくにけん)は、間口が九尺(約2.7メートル)奥行きが十二尺(約3.6メートル)という三坪が普通で、広くても五坪程度でした。腰障子を開ける
と三尺四方の踏み込みの土間、その奥に四畳半か六畳間があり、勝手のへっついの上には煙出しの天窓、座り流しに水瓶が置かれていました。実際には六尺二間、六尺一間半などというクラスもあり、もうこうなるとタタミイワ
シよろしく重なって寝起きしていたようです。
(資料提供:深川江戸資料館解説書より)
落語「不動坊」の中で、噺家が不動坊火焔の幽霊に化けて出る時にこの天窓から降りますが、何のためにあるかといいますと、へっついから出る
煙の排気、換気用の窓なんです。屋根に付いていますから明かり取りにもなりました。開閉には縄や麻紐をつなぎ、上下に渡した丸竹を介して行いました。
でも落語のように、長屋の屋根に大人四人が乗っかって、この窓から降りるのはちょっと無理だと思いますが、そこは落語、大目に見て下さい。
(資料提供:深川江戸資料館解説書より)