昔の寄席は客が百人も来れば満員で、いまみたいに定員四百で、詰めれば五百人は入りま
すなんて、そんな気違いじみた寄席はありませんでした。四畳半が手ごろの小唄を百畳敷の
広間で聞かせるようなもので、落語や講談、とりわけ人情ばなしみたいなものを二百人や三
百人もの前で聞かせたんじゃ味もそっ気もあるもんじゃありません。
お客様のためにも芸人のためにも寄席は小さいものに限るんですが、それがそういかない
のは、やれ建築法だ、何だかんだとうるさいご時勢のせいで、路地の奥の長屋の二軒もこわ
せば寄席ができたんですから、昔は定員百人未満の手ごろの寄席が市内に三百軒近くもあっ
たもんで、よござんしたね。カサをさして通れないような路地でイラハーイと下足が呼び込
みをしている。往来からずっと奥まっているので外のうるさい雑音は聞こえないし、ですか
らしんみりと高座の芸がたのしめたものでした。
それがどうです。今は寄席は五間以上の道路に面してなんて規則があるので、たいてい五
間以上の道路っていえば、自動車も通るし自転車も通る。そこへ持ってきて何百人ってお客
へ声が通るようにするには、マイクなんて化け物も使わなければならないし、これじゃ味の
ある話は聞けない勘定で、ほんとに今のお客はお気の毒です。でも、いくら客は百人以内が
手ごろだとはいっても、百人以内のお客より場内ハチ切れるほど入っていただいた方が、わ
たくしどもはありがたいんですがね・・・・。
ですから三遊亭圓朝という人は、客が一束(百人)以上入ると、あくる日から休んで弟子
にダイバネ(参考1)をさせたもんで、もちろんお目当ての圓朝を聞きに来て圓朝が休んだ
のじゃお客は納まりませんが、ですからちゃんと丸札(参考2)を出しています。丸札を出
されたんじゃお客も文句がいえないで、こうしてだんだん客の数が減って一束以下になった
なと思うと、またノコノコ圓朝が高座へ出る。
やまと新聞連載塩原多助一代記連講などとあおるから客がどっと来る。百人以上になると
丸札を出してまた弟子にダイバネをさせて休むんだから、人によっては圓朝のこの態度を悪
くいった人もありますが、しかしこれはごう慢とかもったいぶってとかいうのではなく、百
人以上の客の前ではやりにくく、不満足な芸を聞かせたくないためにわざとこうしたもので
やっぱり後世まで名人といわれるくらいの人はどこかちがっています。
圓朝の弟子に一朝という人がありまして、この人に紋付きナワだすきという逸話がありま
す。
師匠圓朝のダイバネで高座へ上がると、今夜は圓朝が出るか、今夜こそ圓朝が聞けるかと
思っていたのに、また圓朝が休みなので、業を煮やした客の一人が「てめえを聞きに来たん
じゃねえや」と茶のみ茶碗をとって、高座の一朝めがけて投げつけた。
うまく体をかわして危うく難はのがれたが、あくる晩、また師匠のダイバネを仰せつかっ
た一朝は、ゆうべでさえ茶碗が飛んできたんだから、今夜も師匠が出なかったらこんどは、
長わき差を抜いて講座へ暴れ上がる客がないとも限らないと、あらかじめ紋付きの高座着に
荒ナワでたすきをして上がったというんですから、イキな話じゃありませんか。でもヨロイ
を着て出なかっただけめっけものです。
●(参考1)ダイバネ:代ばね。真打の代演で最後の高座を勤めること。寄席の終演を”はねる”といいます。
●(参考2)丸札:まるふだ。招待券のこと。優待券や割引券は「半札」といいます。
写真は三遊亭円朝