非常に気前がよかった伯山

  講釈場をさびれさせたのは貞山と伯鶴の罪だと、すでに故人になっている芸人をむち打つ ようなことをいいましたが、そのでんでいくと神田伯山なんかも多少は罪があるのではない でしょうか。というのは伯山が次郎長か、次郎長が伯山かといわれたほど、大げさにいった ら次郎長伝で天下を風びしたほどなので、主として独演会や名人会の出演・・・総じて独演 会や名人会というものは、これはたいへん結構な企画のようですが実はそうでなく、席亭と しては決してやるものじゃありません。
  というのは、なるほど聞きに来た人は堪能しますよ、選りすぐった名人なんですから。で すが考え様によっては、この名人会に出ている顔ぶれだけがいい品物で、あとは十ぱひとか らげのクズですという意味にもなって、これは決して重畳の興行法ではないと最近になって やっとわかりましたので、このごろではやりませんが、昔はうち(上野鈴本)でもよくやっ たものです。
  伯山という人はああした読物をやるくらいですから、普通と一風かわったところもありま したね。
  忘れもしません、震災の前の晩だから大正十二年の八月三十一日の晩です。楽屋で曲独楽 の松井小源水が掛け持ち時間が気にでもなったのでしょう、伯山に「先生、いま何時ごろで しょう?」ときくと「なんだ、おめえ時計もってねえのか」「ハイ」「ハイって、いい娘が 時計一つ持ってねえなんて恥じだぜ。これやるから持ってきな。なあにおれはこっちにもう 一つ持ってるからいいよ」と金時計をはずして持たせてやったなんてこともありますし、人 形町末広の独演会で、一席すませて高座からおりると、ぐっしょり汗が背中までぬけた絽の 高座着をぬいで、そばにいる弟子に「おい、これ、おめえにやろう・・・・」そして紙入れ からなにがしかを出して「これはしみ抜き代だ。しみにならねえうちに早く紺屋へ持って行 きな」と、どうです、しゃれた話じゃありませんか。
  そうかと思うとなかなかツムジ曲りのところもありまして、下谷に中年増で伯山に首った げの芸者があったと、まあ思召せ。若い者の軽薄な色恋とちがって先方は死ぬほど夢中なの ですが、追いかけられれば追いかけられるほど伯山はいやで逃げ回っていたが、その後、伯 山のおふくろが死んで、あれだけの芸人のことだから黒わくの死亡広告を新聞に出したんで す。これを見たのが下谷の婦人で、金百円という・・・・そのころ千円あったら三軒長屋の 二むねも建つころの百円ですから、さよう、いまだったらいくらぐらいになりますかしら? まあいくらでもいいでしょ。とにかくきらいな女の供え物でも香典じゃ仕方がありません。 気よく納めておいて、それから初七日になると菓子屋に頼んでお返しに、あの子供のワラジ ほどもある大きな弔い饅頭ね、あれを香典の百円分だけそっくり届けたんです。
  あのころあの饅頭、たしか一個三銭ぐらいだったでしょう。それを百円分とどけたんです から、玄関が饅頭でいっぱいになり、女は饅頭にとりすがって泣きながらやっと伯山をあき らめたそうです。

写真は神田伯山